菅政権では、仕事の結果ではなく、「マジメ」をアピールする閣僚が目立つ。それも、仕事の過程ですらなく、単に本人の「忙しさ」とか「大変さ」といった点を強調する。菅首相は「朝5時起きでやった」とアピールした。先日は、仙谷氏も「朝の7時から夜の11時までしっかりやっている」 と努力をアピールしている。

  そこでふと思い出したのが、リストラ候補となった中高年サラリーマンのエピソードだ。「このままではリストラだ。結果を出せ」と言われた彼は、何を思った のか、次の日から朝一番で出社するようになり、デスクの掃除や花の水やりなどをするようになった。ただし、仕事の能率が上がったり、仕事上で何か新しいこ とにチャレンジするようになったわけではない。

「結果を出せ」と言われたのに、なぜか仕事とは直接関係ない「マジメ」をアピールする―― これは意外に、現代ニッポンで「美徳」として蔓延しているように思われる。仕事で結果を出すよりも、組織への忠誠心を「マジメ」という形で強調することで 評価してもらおうという魂胆がそこにはある。加えて、「自分はマジメに生きているのだから、非難される覚えはない」というように、仕事上の評価問題を道徳 的な評価問題にすり替えていく。マジメが美徳なのは誰も否定しないが、「マジメ」を自己弁護に使うのは間違っている。

 代表的なのが公務 員の自意識だ。利用者からしてみれば、公務員の仕事には不満があり、だからこそ公務員人件費の削減(減給、民営化)ということが言われる。しかし、当の公 務員にしてみれば、「毎朝ちゃんと出勤して、言われた通りのことをちゃんとして、マジメにやっているのに、どうして非難されなければならないのか」と納得 できない。そこには評価基準の決定的なズレが存在する。

 政権交代の原動力になったのは、このような「マジメ型」日本人の群れである。彼 らにとって、仕事とは「毎朝ちゃんと出勤する」とか「言われた通りのことをちゃんとする」という以上のことではないから、「不況でリストラ」とか「年功賃 金・定期昇給の崩壊」とか「既得権・ベネフィットの消失」ということが理解できない。「マジメにやっているのにリストラされた」「マジメにやっているのに 給料が上がらない」「マジメにやっているのにベネフィットが消えた」と、不満タラタラである。

 一方、業績を伸ばしたり、給料が上がった りしている他人を見ると、「マジメ型」日本人としてはどうにも許せなくなる。「自分はマジメにやっているのに報われない。しかし、あいつらは報われてい る。きっと、ズルイことをやっているに違いない。こんな世の中は間違っている」と考える。世の成功者は、凡人以上にそれこそマジメに忙しく働いている人が ほとんどだが、「マジメ型」日本人は自分の「マジメ」しか見えないので、嫉妬心だけがたまっていく。

 それをうまく煽ったのが民主党だっ た。まだまだ規制が多くて社民主義的な要素が色濃い日本型市場経済を「新自由主義」と批判し、「マジメにさえしていれば報われますよ」とバラマキ・既得権 護持政策を謳った。そうして、怒れる「マジメ型」日本人が投票所に向かい、政権交代は果たされたのである。